今日書こうと思った話

「若者たちは東京を目指した」

それに関連して
http://www.asahi.com/national/update/1124/004.html
 着地点が難しいんですよ。逃げ場がなくなると。たぶん、「少年は語るのが下手だ」というのが一番安っぽいけどまあそんなとこだと思う。なんかやりたいようなことが漠然とあってでもはっきりしないから、なんって言って親にやりたいことを伝えるかがわかんないところに、親がまあそのいろいろ「良かれと思って」いうわけですよ。なんかしなきゃならんというのは分かってるところに言うわけですよ。
 やりたくないことはいくらでもあるけど、やりたいことは特に無い。でも、どっかで何かと何らかの形で折り合いをつけなきゃいけないっていうのは分かってる。だから最初にぶつかるのは、社会に適合してみるか、逃げるか、という分岐だ。社会に適合してみるっていうのを選ぶとそれほどその時点で困ることはない。逃げる方を選ぶと、いろいろ決めなきゃいけない。逃げる手段として、親を殺すとか、自殺するとか、フリーター・学生(という身分)になって先送りにするとか、どれかで逃げなくちゃいけない。ちなみに家出するっていうのは、何かと入り用だというのがわかってるので、近年ではあまり好まれない傾向にある。
 なんだかだるくなってきたからもうやめる。兎に角、「親を殺す」のも「自殺する」のも、「先送りする」のも、逃げるための手段としては等価なんじゃないんだろうか、という話をしたかっただけ。で、社会が望んでいることとしては、①適当なところで折り合いをつけさせたい、②先送りしてる労働力を使い捨てにしようとする、のどっちか。いまんとこ社会が受容したい人間というのはこの2つのどちらかなので、いろいろ困るのですよ。その中間みたいなのとか、必要とされる人間を作るとか、そういった受容の仕方があるでしょうに。ということも含めてまあいいや、まとまんないし。あしたま。まとまんないけど、このまんま書きっぱなし。「若者たちは東京を目指した。そして帰ってきた。」は明日以降。
 ついでに言うとオチもねえや。じゃあむりやり作るか。うん、こいつは悪い奴ですよ。こういう奴はねぇ、ガチンコファイトクラブで根性を叩き直さなきゃいけない。撲殺なだけにボクサ(略)