結局金かよ。

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日記ちょう見てたらかいてあったよ。くそ。結局金かよ。「ラブ硬奇跡少なめザーメン濃い目でお願いします」とかねえのかよ。「先輩はやかったけどでかかった」とかそんなエントリーだったら面白かったのに。いままでのアレが台無しよ?台無し。でも面白いとかそんなんじゃなくって、結局金かよ。女子でありさえすればよかったのか。性であればよかったのか。世の中年金払わないで親の家で生活してさらに女子とセックスできればそれでいいのか。あ、やっぱ僕はそれでもいいです。あとかわいければそれでいいのかというご指摘もありますが、僕はそれはそれでいいです。いや、そうじゃなくって、そうじゃなくって何が言いたいというと、やっぱり駄目だ。あー、何を言っても釣られたほうがわるいんですけどね。もう「ピュアラブ」だとか「クリスマスの奇跡」だとか「年金政策」だとかもうしんじねえ。いままでも信じてないけどしんじねえ。自己責任。
 そんなことはどうだっていいのだよ。クリスマスはキルビルで過ごしたんで、ええ。vol2。ラブストーリーだったよ、結果的に。以下自分なりに納得したまとめ。
 なんでビルを殺さなきゃならないのかという根拠は、「自分を殺しかけた」っていうところにある。別に結婚相手を殺されたからとかそういうものじゃなくって。信頼を裏切ったからビルを殺さなきゃならん。というのが、どうしてもビルを殺さなきゃならない理由。
 でもこれは「恨み」の物語ではない。「恨み」の物語は、「個人的な恨み」だけじゃなくって、スクリーンの向こう側の人々っていうか観衆の共感(あいつは悪いことを一杯してる奴だ・理不尽な話だ)=「世間の恨み」を伴なっていることが必要。「世間の恨み」も背負っているから群がるショッカーをちぎっては投げちぎっては投げ、という血みどろ手肢首ばっさばっさの大ちゃんばらが、カタルシスになる。たとえば「修羅雪姫」はただ父・母の仇を殺すために戦うのではない。母は雪を産み落とした直後に死に、父にいたっては血のつながりすらない。世間のため日本のためにも討たなくてもいい仇を狙い続けるのだ。要するに悪い奴だから殺すのだ。「子連れ狼」は…あ、例としてあまり妥当じゃないな…家を追われ妻を殺された恨みだけじゃなくって、幕府のというか侍のというか社会の理不尽を一身に背負っているから、ひたすらぶった切っていかなければならない。
 でもキルビルは「世間の恨み」という安易なアイテムを用意しない。「血の掟」調の「殺されたら殺せ」という単純なルールだけ。もしくは個人的な復讐だけと考えてもよい。でも、血みどろのキャットファイトだとかシルエット格闘訓練だとかを正当化させなければならない。それでもって用意したのが、二人の間の愛なのだ。愛ゆえに戦わなくてはならない。なんで最後にビルが殺しを目的に迫ってきている彼女を待っているかというのも、愛。ああいう状況なのに愛しているビルと戦わなくてはならないというのも、愛。
 あー、なんか自分では納得したつもりだけど、結局愛さえあればいいって自分で納得してたのか!だまされた!