思いとどまる

 ちょっとし隊熱が落ち着いたので様子を見る。ついでにいろいろ個人用メモだ。座頭市の原作者は子母澤寛で、これはチェックの必要がある。というのも目が見えないってことがこんなに使える設定だとは知らなかったので。勝新のも面白かった。でもこの設定を生かせるのは映像だから、ではないのかとおもったから。小説で面白いのかというのをチェックしよう。小説だとあのユーモアはどう描かれているのか。素人ながら僕にはユーモラスに書ける自信はない。たとえばおじさんがいびきをかくフリをしながらいっちゃんを送り出すシーンとか、どうかんがえても書けない。まあ、それは言葉狩りの効果なんですよ!虐げられているんですよ!しゃかいがわるい!っていうのもないわけではないけど、単純にどうやって書いているのかというところを知りたいんです。もしくは原作にはああいう描写はなくって、映像だからあの可笑しさがあらわせたのかっていうところが。
 鞍馬天狗シリーズの原作者は大仏次郎だけれど、これは原作についてはあまり関係ない。そもそも映画をみたことがないから。NHK新撰組つながり。捨介は鞍馬天狗鞍馬天狗新撰組異聞なので、今回のNHK新撰組鞍馬天狗異聞なのだ。青春とかそんなのはちゃんばらなのでこのさい関係ない。鞍馬天狗はせいぎのみかただから、ときには仇敵であるはずの新撰組も助けるぞ。しっぱいしちゃいけないのだ!鞍馬天狗が切り込んでいってしっぱいするわけがない!そもそも馬で切り込まないのがおかしいし、鞍馬天狗が死んじゃうなんて問題外。あくまでも救出しなきゃ!その辺がNHKの限界だとおもった!あのシーンで近藤を殺しちゃあさあ、面白くないじゃん。ええ、ちゃんばらとして面白くないじゃん。そもそも。
 じゃあどうならちゃんばらとして面白かったのかというと、この通り。こうさ、鞍馬天狗こと捨介が単身飛び込んでいくじゃん、まあ当然阻まれるよね?まあ殺されそうになると。でもさ、そこにどこからか紛れ込んだ永倉っていうかぐっさんがさあ、がまず捨介の命をどうにかして救うのよ。当然誰何されるわな。ぐっさん。そこで名乗りを上げなきゃ。でばっさばっさの大ちゃんばらがはじまるんだ。でも多勢に無勢……すぐに押し捲られるぐっさんのピンチ!そこにようやく駆けつけた原田!っていうか山本!「おうおう!俺を差し置いて何楽しんでやがる!」……なんていいながらこれまた名乗りを上げて手槍振り回して大暴れ。しのびこんで様子を見ていた平隊士もそのころには暴れ始めるわな。島田っていうか照英はしのびこむために当然人足のかっこうをしてて、刀は持ってない。近くに生えている木を引っこ抜いてだなぁ、それを振り回す。そりゃあちゃんばらだもん。むちゃな武器が必要。とうぜん最初は見ていた民衆も官軍に石投げつけ始める。まあ官軍の赤シャグマ黒シャグマが取り乱す兵を叱咤してるわけだが、その目の前に、すっと現れるのが土方!っていうか山本!「わりいが局長はもらいうけてくぜ」って来るわけだ。シャグマは当然「何をいうか!ただではすまさんぞ!」なんていうんだけれども、後ろには斉藤っていうかオダギリが忍び寄って首筋に刀を突きつけるのね。もちろん斉藤は名乗らない。で、赤シャグマ黒シャグマを盾にしながら、捨介と近藤、新撰組隊士一同は無事引き上げていく。官軍に石ぶつけてた民衆はやんややんやの大喝采。黒シャグマっていうか古田新太は、まあ当然新撰組一同が逃げれるとこまでいったら、解放されるわな。新撰組はあくのぐんだんだけど、非道はしないのだ!で近藤となにも言葉は交わさないけれども、目で肯きあって去っていくのだ。一時は離れてしまった新撰組も、なんとなく再集合してしまった!こんな理不尽な日本なんて国を離れて、大陸で馬賊になるか、南洋で海賊でもして、みんなたのしくおもしろおかしく人生を送ろうってことになってフィナーレ。そんな新撰組最終話のほうがたのしい!
 そんなわけで、なかまをたすけるために、刑場にまさかりをぶるんぶるん振り回しながらひとりで飛び込んでいくような、そんなシーンのある小説がすきだ!きっと三谷幸喜もこのシーンを書きたかったにちがいない。もちろん根拠は無いよ!こんな水滸伝みたいな新撰組がいい!